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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)6781号 判決

原告(反訴被告) 大蔵映画株式会社

右代表者代表取締役 大蔵貢

右訴訟代理人弁護士 米田為次

同 米田忠夫

同 野田純生

被告(反訴原告) 日本ブランズウィック株式会社

右代表者代表取締役 中山久

右訴訟代理人弁護士 井口芳蔵

右訴訟復代理人弁護士 近藤英夫

主文

一  原告(反訴被告)の本訴請求を棄却する。

二  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金六三八万八四一六円を支払え。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  本訴請求の趣旨

1  被告(反訴原告、以下「被告」という。)は、原告(反訴被告、以下「原告」という。)に対し、金二五二〇万円およびこれに対する昭和四九年三月五日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  主文第二項同旨

2  訴訟費用は原告の負担とする。

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

被告の請求を棄却する。

第二当事者の主張

一  本訴請求の原因

1  原告は、映画の製作、配給、興行、ボウリング場の経営等を目的とする会社であり、被告は、米国ブランズウィック社製ボウリング機械の販売等を目的とする会社である。

2  原告は、昭和三八年四月二二日、被告から、ボウリング設備一式二〇レーン分を代金一億一二五〇万円で購入し、札幌市南五条西二丁目所在の「大蔵ボウリングセンター」(以下「本件ボウリングセンター」という。)に設置し、同年一一月にボウリング場を開場し、営業を開始した。

3(一)  一般に、ボウリング場の収益は、もっぱら付近の人口に対するボウリングのレーン数の比率によって定まり、ボウリング場の経営可能なレーン数の最低線以上過密にボウリング場を設置することは、ボウリング場経営企業の倒産を招くことになるところから、ボウリング設備販売業者がボウリング場に機械を販売した場合は、その後においてその近辺に自社機械を販売しようとする際には、先の買主と協議してその経営が立ち行くことを十分に確認し、その了解を得たうえ、次の買主に販売するのがしきたりとなっているが、被告会社代表取締役中西良吉、同常務取締役落合昇は、前記2の原告に対するボウリング設備販売に際し、被告会社本店で、原告会社常務取締役大蔵満彦に対して、当時既に被告のボウリング設備販売についての話が出ていた札幌市内のサンアイボウリングセンター(後に改称して「札幌パークボウル」となる。)以外には、原告の承諾なくしては札幌市内のボウリング場にボウリング設備を販売しない旨を確約し、右大蔵も、これを承諾した。

(二)  また、被告会社代表取締役中西良吉、同常務取締役落合昇は、昭和四〇年一二月三日、被告および被告からボウリング設備を購入して使用するボウリング場経営業者によって組織される「ブランズウィック会」の熱海における定例会の席上、原告会社常務取締役大蔵満彦、同大蔵光邦を含むユーザーに対し、「被告は、ボウリング機械設備を買った顧客の経営するボウリング場の近傍約四キロメートル以内にある他のボウリング場経営者に対しては、ボウリング設備を販売しない」旨を約束した。

(三)  その後、原告が昭和四一年三月一七日に被告からボウリング設備を購入し、東京都世田谷区内にボウリング場を開設した際、被告は、原告との間で、原告の承諾なしに、右ボウリング場の近傍にあるボウリング場に対しては、ボウリング設備を販売しないという合意をしたにもかかわらず、同四一年末ごろ、同じ世田谷区内の他の業者に対し、ボウリング機械を販売したことがあったので、原告が、被告の契約違反行為を問責したところ、被告は、非を認め、昭和四二年五、六月ごろ、原告に損害賠償金一〇〇万円を支払ったが、この際にも、原告会社近くの飲食店で、被告の代理人である被告会社営業部の前田課長および高橋実が、原告会社の常務取締役大蔵満彦、同大蔵光邦に対し、本件ボウリングセンターの近傍でボウリング場を開設する他の業者に対しボウリング設備を販売しないこととこれに違反した場合には原告に対して損害賠償金を支払う旨を約した。

(四)  被告は、昭和四二年秋ごろ、訴外須貝興業株式会社(以下「須貝興業」という。)から、同会社において本件ボウリングセンターから約一〇〇メートルの近接地に、四二レーンを有する須貝ボウリングセンターを開設するためのボウリング設備購入の申込を受けたところから、翌昭和四三年三月ごろ、被告の代理人である被告会社常務取締役須山孝行および前記前田課長において原告会社常務取締役大蔵満彦に対し、被告から原告に一〇〇万円程度の金銭を支払うかわりに、須貝興業へのボウリング設備の販売を承認してほしい旨の申入れをしたが、右大蔵がこれを断ったところ、前田課長は、その後同年夏ごろまでの間四、五回にわたって、原告会社常務取締役大蔵光邦に対して、須貝興業にはボウリング機械設備を販売しない旨を確約した。

4  しかるに、被告は、右3(一)ないし(四)の合意に違反し、昭和四三年一〇月ごろ、原告の承諾なく、原告に秘匿して、須貝興業にボウリング設備四二レーン分を販売し、前記須貝ボウリングセンターは、同年一二月二五日開場して営業を開始した。

5  原告経営の本件ボウリングセンターでは、右須貝ボウリングセンターの開場により、札幌市内における他のボウリング場に比して売上げが減少した。右減少額は、昭和四三年一二月から昭和四五年九月までの間を合計すると、二八四五万六六一五円(うち昭和四五年九月分は、一五九万八一四六円)に上ったが、反面売上げ減少に伴って原告は右減少額の一〇パーセントの割合で出費を免れたから、売上げ減少額から、右の免れた出費額を差引くと、結局、須貝ボウリング場開場によって、原告は二五六一万〇九五三円(うち昭和四五年九月分は一四三万八三三一円)の得べかりし利益を失ったこととなる。したがって、右額が被告の4記載の債務不履行によって原告が被った損害額である。

6  よって、原告は、被告に対し、右損害額中、昭和四三年一二月から昭和四五年八月までの分の損害額二四一七万二六二二円と昭和四五年九月分の損害額の一部である一〇二万七三七八円の合計額である金二五二〇万円およびこれに対する請求の日の翌日(請求の趣旨の訂正記載の昭和四九年三月四日付準備書面送達の翌日)である昭和四九年三月五日から完済に至るまで商事法定利率である年六分の割合による金員の支払を求める。

二  本訴請求の原因に対する認否

1  請求の原因1および2の事実は認める。

2  同3(一)の事実は否認する。

同3(二)のうち、原告主張のころその主張の場所で、「ブランズウィック会」の会合があった事実は認めるが、その余の事実は否認する。

同3(三)のうち、原告主張のころ、原告が、被告からボウリング設備を購入して、東京都世田谷区にボウリング場を開設した事実、被告が、原告に対し、一〇〇万円の金員を支払った事実は認めるが、その余の事実は否認する。

被告が原告に対し、右金員を支払ったのは、昭和四二年末ごろであり、ボウリング営業宣伝協賛費として支払ったものである。

同3(四)のうち、原告主張のころ、被告が、須貝興業から札幌市内に開設するボウリング場のボウリング設備購入の申込を受けた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

3  同4の事実のうち、原告主張のころ、被告が、須貝興業にボウリング設備四二レーン分を販売した事実、原告主張のころ、須貝興業が須貝ボウリングセンターを開場し、営業を開始した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

4  同5の事実は否認する。

三  反訴請求の原因

1  被告は、昭和四一年三月一七日、原告に対し、ブランズウィックボウリング設備一式三〇レーン分を代金一億二九〇〇万円で売渡した。

2  その際、右代金のうち一五〇〇万円は、これを昭和四一年七月一〇日から同年一一月一〇日まで月額三〇〇万円宛に分割して毎月一〇日に支払うこと、残額一億一四〇〇万円についてはこれを同年一二月一〇日から昭和四五年一一月一〇日まで四八回に均等に分割して毎月一〇日に支払うこと、右割賦払にあたっては、昭和四一年一〇月二〇日以降は、日歩二銭四厘の割合による延払利息を付加して支払う旨の合意が成立した。

3  しかるに、原告は、右売買代金一億二九〇〇万円および昭和四三年九月九日分までの利息を支払ったのみで、同月一〇日以降の分の利息合計六三八万八四一六円を支払わない。

4  よって、被告は、原告に対し、右未払利息金六三八万八四一六円の支払を求める。

四  反訴請求の原因に対する認否および抗弁

1  反訴請求原因1ないし3の事実はすべて認める。

2  原告は、被告に対し、本訴で請求している損害賠償債権を有しているが、昭和四五年一月一六日ごろ到達の内容証明郵便で、右損害賠償債権をもって、被告の反訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

五  抗弁に対する認否

原告主張の相殺の意思表示があった事実は認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

第一本訴請求についての判断

一  原告が、映画の製作、配給、興行、ボウリング場の経営等を目的とする会社であり、被告が、米国ブランズウィック社製ボウリング機械の販売等を目的とする会社であること、原告が、昭和三八年四月二二日、被告から、本件ボウリングセンターに設置するボウリング設備一式、二〇レーン分を一億一二五〇万円で購入したこと、昭和四〇年一二月三日、被告および被告からボウリング設備を購入して使用するボウリング場経営業者によって組織される「ブランズウィック会」が開催されたこと、原告が、昭和四一年三月一七日、被告からボウリング設備を購入して、東京都世田谷区にボウリング場を開設したこと、被告が、昭和四二年中に、原告に対し、一〇〇万円の金員を支払ったこと、被告が、昭和四二年秋ごろ、須貝興業から、札幌市に開設するボウリング場のボウリング設備の購入の申込を受け、昭和四三年一〇月ごろ、須貝興設にボウリング設備四二レーン分を販売したこと、須貝興業が、同年一二月二五日、札幌市内で、須貝ボウリングセンターの営業を開始したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すれば、

1  原告は、昭和三七年ごろ、札幌でボウリング場を開設経営しようという企画をたて、被告からボウリング設備を購入して、昭和三八年一一月「大蔵ボウリングセンター」を開業したが、当時、札幌で営業していたボウリング場は、同年九月下旬に開業した国際ボウリングセンターのみであって、原告が被告とボウリング設備売買の交渉をしていたころ、サンアイボウリングセンター(後に改称して「札幌パークボウル」となる。)も被告との間でボウリング設備販売契約の交渉をしており、原告に続いて昭和三九年七月ごろ三六レーンの設備をもって開店したこと、

2  近代設備を伴う大衆向けのボウリング場が開設されはじめたのは、昭和三六年ごろであり、昭和三七、八年ごろも未だボウリング場の数は、全国的に、少なかったこと、

3  原告と被告との間での売買契約に関しては、原告を代表する原告会社常務取締役大蔵満彦と、被告の代理人で被告会社の営業担当者高橋実との間で交渉が行なわれたが、その際、被告側から、ボウリング場を経営するうえで、ボウリングのレーン数としては、一万人に一レーンの割合が最も好ましいという説明があり、当時、札幌市の人口がおよそ七〇万人であり、既に開設していた国際ボウリングセンターのレーン数と本件ボウリングセンターとサンアイボウリングセンターとのレーン数とをあわせると、およそ七〇レーンになるので、原告側では、被告の右説明について納得し、被告側に対し、サンアイボウリングセンターに対してはともかく、札幌では他にボウリング設備を売らないように要請し、右高橋も、原告の右要請を了承する旨述べたこと、

4  昭和四〇年一二月三日に、熱海市で「ブランズウィック会」が開催されたころには、全国的にボウリング場を開設しようとする業者が増加し、既設のボウリング場営業者間で、過当競争が問題にされはじめていたため、右「ブランズウィック会」には、被告からボウリング設備を購入した全国のボウリング経営業者が集まり、ボウリング場経営について討議がなされたが、その席上、大蔵満彦が、札幌における既設ボウリング場と新設のボウリング場との距離などボウリング設備の販売基準についての被告の考え方を質問したところ、被告会社の落合営業部長の発言に加え、代表取締役中西良吉から、間隔を四粁位にとるのも一案だが、各地の実情もあり、ケースバイケースで関係のある既設業者の意見をきいて慎重に考慮したい旨の発言がなされたが、右の点につき明確な約束がなされたわけではなかったこと、

5  昭和四一年三月一七日に、原告が、被告から、東京都世田谷区に開設するボウリング場に設置するボウリング設備を購入するにあたって、前記大蔵満彦および原告会社常務取締役大蔵光邦と、被告会社常務取締役落合昇および被告側の担当者一名との間で話合いがなされた際、原告側から、世田谷区に開設する右原告経営のボウリング場の近くには、ボウリング設備を売らないでくれという要望がなされたが、被告側からは、明確な回答がなかったこと、しかるに、同年末ごろ、被告が、同じ世田谷区内の三軒茶屋にある三軒茶屋田園ボウルに対し、ボウリング設備を販売したところから、原告は、昭和四二年一月から二月にかけて、被告に対し、内容証明郵便などで、原告の前記世田谷区内のボウリング場の経営が行き詰まるとして抗議をした結果、同年一二月二八日に、被告から原告に対し、宣伝協賛費という名目で、一〇〇万円を支払って解決したこと、

6  昭和四二年秋ごろ、須貝興業の代表取締役須貝富安が、原告会社を訪れ、原告会社代表取締役大蔵貢に対し、本件ボウリングセンターから直線距離で約一〇〇メートルの地点にボウリング場を開設したいが、ボウリング設備の販売業者である被告から、既に札幌で被告からボウリング設備を購入している原告の了解をとってくれといわれたので、原告の了解をとりに来た旨説明したところ、右大蔵は、距離が近すぎるので了承することはできないと回答したこと、

7  被告と須貝興業との間のボウリング設備についての売買契約が成立するころ、被告会社の常務取締役須山孝行および営業部前田課長が、数回にわたり原告会社を訪れ、被告から原告に対しボウリングのピン八〇セット(二〇〇万円相当)を提供するかわりに、被告が須貝興業へボウリング設備を売ることについて了承してほしい旨、原告に申入れたが、原告側ではこれを拒否したこと。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三  しかしながら、ボウリング設備販売業者が、ボウリング場にボウリング設備を販売した後、その近辺の他の業者に自社の設備を販売しようとする場合には、右の買主と協議し、その了解を得たうえでなければその近辺でのボウリング設備の新買主に販売できないことが従来からのしきたりとなっていたとの点、昭和四二年一二月に、被告が原告に対して一〇〇万円を支払った際に、被告と原告との間で、被告が本件ボウリングセンターの近傍でボウリング場を経営する他の業者に、ボウリング設備を売らないこと、これに違反したら、被告は、原告に損害賠償金を支払うことが合意されたとの点および昭和四三年三月ごろから同年夏ごろにかけて、被告会社営業部前田課長が、原告会社常務取締役大蔵光邦に対して、須貝興業には、ボウリング設備を売らないと確約したとの点に関する原告の主張については、これらの主張事実にそう≪証拠省略≫があるが、前記二冒頭に掲げた各証拠に照らし、容易に措信しがたく、右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

四  そこですすんで、二3で認定した原告と被告との間の話合いについて、その法律的効果を判断する。

まず、≪証拠省略≫によれば、日本でボウリングがようやく普及しはじめた昭和三七、八年ごろは、ボウリング設備販売業者およびボウリング場経営者の間で、ボウリングのレーン数は、一万人に一レーンの割合が、ボウリング場の経営政策上、最適であるとされていたが、ボウリングが広く普及し、ボウリング場が増加するに従い、一レーン当りの人数の割合が減少し、昭和四六年ごろには、六〇〇人に一レーンの割合でも、ボウリング場の経営は成り立ちうるとされるに至ったことが認められる。

このように、二3で認定した話合いの前提となった一レーン当りのボウリング人口数自体が、きわめて流動的であり、二4ないし7で認定したように、原告と被告との間で、何回となく、本件ボウリングセンターの近傍に開設する他の業者のボウリング場に対するボウリング設備の販売について折衝がなされていることを考えると、二3で認定した話合いの結果は、法律上の契約が具えるべき拘束力を判断するにあたって、その拘束力の実質的基盤や内容がきわめて不明確であると認められるばかりでなく、個人の場合と異なり、本件原被告のようないわば業界で一流ともみられるような会社の間で拘束力のある契約を締結するのであれば、ことに本件のような重要な合意についてはその明確性を保持するために、その内容を書面に作成し、相互にこれを確認し後日の証拠とするのが通常であると考えられるに、本件では、右話合いについて書面が作成されたと認められる証拠はない。

これらの各事情を考えあわせると、右話合いによって、直ちに当事者を法的に拘束し、これに違反した場合に法的な責任をも負担するような性質の約定が成立したとまで認めることはできないのであって、右話合いの結果は、あくまで、過当競争を防止するためのボウリング設備販売についての一応の了解事項、いわば神士協定にすぎないというべきであり、法律的には、被告が右話合いの結果に違反して他の業者にボウリング設備を販売したことにより、原告に対する債務不履行の責任は生じないと解するのが相当である。

五  以上のとおりであるから、右と前提を異にし、被告に対し損害賠償を求める原告の本訴請求は、その余につき判断するまでもなく、失当といわなければならない。

第二反訴請求に対する判断

一  反訴請求原因事実については、当事者間に争いがない。

二  原告の相殺の抗弁については、その主張の自働債権の成立が認められないことは、すでに第一で判断したとおりであるから、右抗弁は理由がない。

したがって、反訴請求は理由があることが明らかである。

第三結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、被告の反訴請求はすべて理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉井直昭 裁判官 福富昌昭 塩月秀平)

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